なぜチャペルウェディングか?  二人が生涯、いつまでも幸せであるために


誰でも「結婚したら一生添い遂げたい」と願うでしょう。もちろん、ただ添い遂げるだけでなく、いつまでも仲むつまじくありたいですね。
そのために必要なことは、@結婚のスタートを確かなものにする。A愛の基準をもつ。ことです。

@結婚のスタートを確かなものにする。
たとえどんなに相手を熱烈に愛していても、人の感情は移り変わりやすいもの。どんなに今、相手を愛する思いが強固であっても、それが永遠の愛の保証となるわけではありません。ですから、キリスト教の結婚式では、必ず 「愛の誓約」 があります。結婚のスタートを神と人々との前で結ぶ愛の誓いもってはじめ、確かなものにするのです。
「神の前で」というのは、相手を「神が私のために備え、巡り逢わせてくださった人」として、感謝と喜びをもって受けとめるということです。この地上には、数えきれないほど男性、女性がいます。その大勢の中からあなたは不思議なように相手の方と出逢い、生涯のパートナーとなるのです。そこに、人の手を超えた神秘さ、神のはからいを心に留めましょう。
「誓いをもって」というのは、愛しているという感情を、結婚の拠りどころとするのではなく、何があっても、生涯この人を愛するという意志を、結婚の拠り所にする ということです。

A愛の基準をもつ。
「人生楽あれば苦あり」で、喜ばしいこと、楽しいことばかりでなく、苦しいことや悲しいこともあります。結婚した後の二人の歩みにも、いろいろな出来事があります。(長い夫婦の歩みですから、甘い楽しい結婚生活ばかりでなく、いろいろなことを想像してそれなりの覚悟を持つのも必要なことです。)
では、二人の愛を持続させるには、どうすればいいのでしょうか。結婚式で 「愛するという意志」 を拠り所に 結婚生活をスタートさせたならば、あとは、愛の温度 や 感情の強弱 ではなく、「愛するという意志」を 持続させていけばいいのです。そのために必要なのが、二人にとって共通の愛の基準(モデル)をかかげ、それをお手本に愛するという意志を働かせていくことです。
夫婦は「愛している」とか、「あなたのため」と言いながら、いつしかそれは「自分のため」であったりするものです。人間には、そういった身勝手さや自分中心の傾向がどうしてもあります。それを充分にわきまえつつ、愛の基準をもとに自分自身の相手に対する愛を点検し、確認し、修正したり、改めていくことが、「愛するという意志を働かせる」ことにほかなりません。
ですから、キリスト教の結婚式では聖書から、愛の基準(モデル)が必ず読み上げられます。ちょっとここに記してみましょう。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。

新約聖書 コリント人への手紙第一  13章(抜粋)

ここから分かることは、愛は、燃えるような情熱や好きだという感情ではないということです。愛とは、誠実であること、どんな時も相手を信じ受け入れること、どんな失敗も赦すこと、いつまでも信じて待つことです。もちろん、そんな理想通りにはなかなかなれないことは、夫婦として歩んでいく中で分かってきます。でもその時こそ、感情ではなく、スタート地点に、つまり、結婚式のあの「愛するという意志(決意)」に立ち帰ってください。そして、二人を巡り逢わせてくださった神を仰いで、愛の不足を感じるならば相手を誠実に愛する愛を、迷いがあるなら愛を貫く力を祈り求めてください。二人を巡り逢わせ、結んでくださった神は、何度でも 愛する心を与えてくださいます。
(「祈る」ということについては、「あなたと大切な人との絆のためにもご覧ください。)